深田 上 免田 岡原 須恵

ヨケマン談義11.昔懐かしふるさとの味

11-11.からし蓮根

 毎年2月の初めに開催される人吉球磨地方からの出身者による懇親会「くま川会」では決まって「酢ダコ」と「からし蓮根」がテーブルに並ぶ。いずれもふるさとの味であり、わざわざ取り寄せ、味わって貰おうという主催者の配慮からである。
「からし蓮根は熊本名物であるが、子供の頃は食べさせて貰わなかった、食べさせられても、おそらく吐き出していただろう、からし(辛子)が入っていたから・・。だから、からし蓮根は大人になってからのふるさとの味です」と、人吉出身のペンネーム蓮池さんは、こう語っておられる。
人吉球磨地方で「蓮(はす)と言えば、、歌の文句のように、球磨の名所、青井阿蘇神社の鳥居の前に蓮池(図1)がある。

♪ 球磨で名所は 青井さんの御門 (前は 前は)♪
     ♪ 前は蓮池 桜馬場 よいやさ(ホイサッサ ホイサッサ)♪

 これは、「球磨の六調子」の一節であるが、この民謡は、おっとりとして、穏やかな球磨人には似つかわしくなく、激しく賑やかなメロディである。おそらく、南方から持ち込まれた伝承歌であろう。一説には、江戸時代後期の「牛深ハイヤ節」の流れをくむものとされており、この六調子もおそらく江戸時代がその起源である。その頃の青井阿蘇神社前には蓮池があって、蓮根が収穫されていた可能性がある。青井阿蘇神社の蓮池には、梅雨のころから淡いピンクの花が咲きはじめ、初夏を感じさせる景色となる。

 この青井阿蘇神社の由来については、8-9の神仏習合の「青井さん」と相良観音のなかで詳しく紹介したが、創建は伝 大同元年(806年)、奈良時代が終わった平安時代の初めの年である。その頃から、蓮池があったかどうかは分からないが、少なくとも、「球磨の六調子」は江戸時代後期からの歌であるから、その頃には蓮池があり、蓮根も食されていたと推測できる。

蓮池 味噌詰め カット品
図1.青井阿蘇神社前の蓮池 図2.からし味噌詰め (写真:森からし蓮根HP)

 熊本におけるからし蓮根の歴史は古く、元祖は江戸時代から18代続く熊本市の「森からし蓮根」とある。しかし、その間には業者壊滅状態を招いた事件があった。昭和59年(1984年)、熊本の「三香」という製造業者が作った真空包装のからし蓮根によってボツリヌス菌による集団食中毒事件が発生し、36名が中毒症状をおこし、うち11名が死亡した。この事件以前には、熊本県内には100社もあったが、事件以後は風評被害によってほとんどの店が廃業した。

 からし蓮根の作り方を「森からし蓮根」のHPから紹介しよう。原材料となる生蓮根は、主として西日本産の蓮根『ジャポニカ』を利用し、それを茹でることから始まる。茹で方によって食感が変わるので、職人の腕の見せ所だそうである。次に、味噌とからしを合わせて作り、蓮根の穴に詰める。図2左がその様子である。辛めのからし味噌するか、甘めのものにするか、各店の特徴となるそうで、その配合と製法は一子相伝として代々受け継がれているとのことである。最後は揚げる工程で、卵に小麦粉、クチナシ色素などを水で溶いた衣をつけて揚げると出来上がりとなる。図2右はそのカット品である。

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